フェミニズム読史会

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第25回 「女性に理系は向かない!」はいかにして生まれたか? - 『科学史から消された女性たち 改訂版』読書会

※第15回~は読書会の議事録を公開用に再編集したものを掲載します
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選書の理由

  • 前回は歴史学におけるジェンダーの問題を学んだ。大学教育では、特に理系におけるジェンダーバランスが良くない。なぜここまで女性の割合が低いのか、歴史的に探りたい。

  • 例えば、高名な男性科学者が発見したとされているが、その発見は女性研究者の業績を横取りしたもの、という例もある。科学史の中で女性がどう位置付けられていたのか、女性参入を妨害しているのは何なのかを知りたい。

感想

  • 現在もある問題が16世紀からあったのが印象的だった。
  • 女性の活動をつぶすために男性たちがヤジを飛ばしていた、というくだりはTwitterみたいだなと思った。
  • 科学において女性の排除は自明ではない。家庭で科学に触れ、研究することは、16世紀にはあったこと。公教育が整備され、内容が専門的になっていくにつれて男性のものになっていき、女性が閉め出されてしまった。でも昔は女性も科学に触れられる機会があった。社会の制度によって女性が排除されてしまい、それが今になっても続いている。
  • オックスフォードやケンブリッジといった大学教授は19世紀まで結婚が許されなかったというのに驚いた。女性は「結婚しないといけない」という抑圧があるので、そういう意味でも女性は余計に大学の世界へ入っていきにくかったのかも。結婚できない、というのは男性もつらいのでは?
  • 前回は歴史学におけるジェンダーの問題を学んだが、今回は科学分野。歴史学と差別は変わらないなという印象。科学はバイアスがないものだとされているけれど。
  • 16〜17世紀にかけてプロフェッショナルな職業ができるにつれて女性が排除されえていった。家庭やサロンの中では、女性は比較的自由に携わることができた。プロフェッショナルになると男性が重視されてしまうのはなぜか。資本主義と関係があるのか。
  • 夫の背後で女性が研究していた・論文執筆を助けていたという話。最近も女性ゴーストライターを描いた映画があったけど、昔から同じようなことがあった。
  • イラストや絵が多い本だった。調査を必要とする歴史学と違い、科学は個人の家の中で完結できるものも多い。例えば東京女子大の卒業生で数学者の石井志保子さんという人がいるのだけど、(一般的に女性は数学が苦手というバイアスがあるけど)逆に数学のほうが家で研究できるから女性にとっては良いのでは。
  • 科学のイメージが女性で表象されていたのに驚いた。国を表現するアイコンが女性なのは見たこともあるが、科学も女性だったのが意外だった。
  • 科学の表象は女性だった頃、一方男性はハンティングなどに興ずるべきで科学に携わるべきではないと言われていた。しかし、国家政策で科学が重視されていくにつれ、科学は男性のものになってしまった。資本主義、植民地主義、財政学、国家権力が発達するにつれて、世の中も男性中心的になっていく。むしろ女性が科学の中心を担えそうだった時代もあったのに。
  • 16-17世紀頃、科学に携わることができたのは階級の高い女性だった。時代が進み、男女の領域が家の「外」と「内」という形になっていくと、女性の家事労働が増えていく。自宅で科学や学問をするには「自分だけの部屋(byヴァージニア・ウルフ)」が必要だが、だんだんと「家にいられれば科学ができる」時代ではなくなってしまい、家の中で女性は家事に従事することが求められる。学問をすることは困難に。
  • 最近だと、東京医科大学の入試で女子が不利に扱われていた事件があった。
  • 男性の骨格が基準にされたことで女性の骨格が「不完全」なものとされていた。レイシズムの問題でも、黒人の骨格や頭蓋骨の大きさは白人男性とは違う特徴を持つものとされていた。それを助長していたのがモートン医師という人物。人種問題でもジェンダーの問題でも、政治と結びつき始めるとよりやっかい。
  • 教員として、科学分野に携わっている学生にはぜひ読んでほしい本だった。「なぜこれだけ女性が少ないのか」が目に見える形で分かる。自分自身、学ぶことが多かった。
  • 例えば、子宮筋腫になる確率は白人女性より黒人女性のほうが高い。女性は産科や医学分野には少ないので、(特に黒人女性に)実害が出ている。産婆は経験則で最適な出産の仕方をやっていたのに、産婆が男性中心的な近代医学に取って代わられることで、男性が女性から医学として産科を取り上げてしまった。そのために、生殖・出産に関わる女性のリプロダクションがおろそかになってしまう。結果的に、女性の健康や命がおろそかになってしまう。17世紀からずっと積み上げられてきた問題は、産科医学の誕生とともにあった。
  • 「大学教育を受けた男産婆は産科医と呼ばれるようになった」(134頁)というくだりで思い出したこと。アメリカの黒人女性作品では子どもを産むシーンが印象的に描かれるが、医師が登場するシーンはほとんどない。出てくるのは助産師。黒人社会は助産師(midwife)の職業団体が強い。
    • アメリカの場合、1910年には助産師の免許制度が導入されていた。この時代には、助産師がアメリカの医療体制に組み込まれていた。
    • 黒人コミュニティには黒人の医学校が少ないので、医師自体少ない。金銭的理由もあるが、アクセスできるのが助産師だけのことが多いのかも。(1915年時点では、医者に頼むより産婆さんに頼むほうが安かった)
    • 病院でも人種が隔離されている。白人が黒人女性の出産を助けることはほとんどないのでは。
    • 治療と称して不妊手術を施すなど、白人医師にかかることで逆に体を傷つけられてしまうのではという恐怖もある。制度的にも白人医師にはかかれないし、白人医師に診てもらうのは怖いという感情もあったのでは。
    • 出産と病院が関わるようになったのは、日本の場合、医師免許などの制度ができてから。『明治を生きた男装の女医』という本では、明治期に海外から西洋医学が入ってきたと同時に「産めよ増やせよ」の時代になったので、病院で産むようになった。日本の場合は国家と関係している。
    • アメリカの場合、健康に連邦が介入していくのは20世紀転換期になってから。国家と出産、人口政策が結び付けられていく。
    • 産婆は血を浴びるので、(文化によっては)忌避される存在。しかし、国家の必要に応じてプロフェッショナル化することで女性が排除されていく。NHKBS世界のドキュメンタリーで放送されていた「フラとニョニョの“助産録” 〜ミャンマーラカイン州〜」という番組で、ある助産師(仏教徒)とその弟子(イスラム教徒)が取り上げられていた。その地域にはアクセス可能な病院があるのに、わざわざこの助産師のところへ行って出産する人たちがいた。同じ信仰の先生のところで産みたいから。国家の介入もあるし、宗教的な要因もある。

読書会中に紹介された本やサイト

オリジナルサブタイトル

読書会のまとめとして、自分なりのサブタイトルを各自で考えて発表しています。

  • 「「女性に理系は向かない!」はいかにして生まれたか?」(アントニン)
  • 科学史の舞台裏 家庭の中の科学者たち」(ノビツムリ)
  • 「アカデミー内の『知』がジェンダー差別によって『消されない』ために」(kimiko)
  • 「『歪んだ』男女の区分と知識の独占」(berner)
  • 「いつから女性は影となったか。 女性は科学の象徴だった!」(midori)
  • 「プロフェッショナル化が進むと女性は排除される」(アズシク)

概要

  • 開催日:2023年5月
  • 選書担当:アントニン
  • 議事録作成担当:アズシク
  • 標題作成:アントニン